自閉症スペクトラムの子どもの親になって
前回の記事を書いてた頃はまだ汗ばむ暑さだったのに。
気づけば寒さが身にしみる12月!
2020年も残りわずかになってしまいました。
今回は私が障がい児の親になってみて思うこと、感じることなどを書いていきたいと思います。
長男が自閉症スペクトラムと診断されたのは3歳を過ぎた頃です。
その後、都の児童相談センターで知的障がい中度ということも判りました。
当時は次男が生まれて間もない頃で、発語がほとんどなく抱っこを要求してくる長男とまだ赤ちゃんの次男で毎日手一杯。
将来を思うと不安になってきたり、発語がなく延々と回るおもちゃを回し続けている長男の奇怪っぷりに疲れたり、言うことが通じないもどかしさに苛々したりしてたように思います。
ただ保育園の先生方や、周囲のママ友にはとても恵まれており、長男を通して人の温かさにも改めて気づく日々です。
たとえば、特別支援学校の先生をされてるママ友には「最初は言いづらいかもしれないけど、あーちゃんが発達障がいだっていうことは周囲の人に早く伝えたほうがいいよ」と教えてもらいました。
なかなかクラスのお母さんに言い出せなかったのですが、ポンと背中を押してくれたことでその後に開催された保護者会で先生に時間をいただき、打ち明けることができました。
担任の先生方も長男の特性をよく理解してくださり、優しく見守るところと「今ならできるかな?」と長男の様子に合わせて促してくださったり、フォローしてくださったり、感謝してもしきれないぐらいお世話になってます。
しかも事務員さん、用務のおばちゃん、他のクラスの先生みんなが声をかけてくださってるおかげで、第二の我が家のように過ごすことができています。
入園したての泣いて癇癪やパニックばかりだった頃が嘘のようです(涙)
また精神科医師の成田 秀幸先生という重度知的障がい者総合施設の園長もされている方のセミナーに参加したときは、”どう発達障がい児と向き合うことが大切か”を知り、目からウロコでした。
今でも時々見返して心に刻んでいる大切にしている言葉です。
少し抜粋してご紹介します。
発達障がいは病気ではなく、『脳のタイプのひとつ』であり『能力の欠落ではなく、認知のひとつのスタイル。脳のタイプ名』だということ。
『障がい』という言葉から連想されがちな“異常”、“ハンディキャップ”、“劣っているものではない”こと。
克服すべき“病気”でもないこと。
育て方や環境によって生じるものではないこと。
生まれつき持っているものであり、生涯持ち続けるもの(例:利き腕)
そして、発達障がいに対する周囲の大人の心構えとして、
“世間は甘くない”ことを見せつけたり、“世間はろくでもない”と失望させる存在ではなく、“世の中には信頼できる人もいる”という安心と“困難があってもやりようがある”と勇気を与えること
その子にとって『本当に自分のことをわかってくれている』と思えるひとりになれるように謙虚に辛抱強く努力し続ける大人でありたい
と結ばれてます。
成田先生のお話を聞いたことで、長男に「なんでできないの?!」と私自身が焦り苛々して、本来の姿としっかり向き合ってなかったことに反省しました。
それからは他人と比べたり「まだこれができてない!」と焦ってやらせようとすることをやめました。
すると私自身の気持ちが楽になり、子どもと過ごす時間も楽しめるようになり、褒める場面が増えてきました。
子どもの成長を願うからこそ、親として自分のあり方を時々見つめなおすことは遠回りなようで一番子どもの成長に近いのかも….と最近つくづく思うのでした。