VIVA!自閉っ子育児〜小学校入学編〜

我が家の長男は現在、都内の特別支援学校に通っている。小学1年生の1年間だけ公立小学校の特別支援級に通ったが、2学期の終わりに区の教育支援課の方から連絡があった。長男の学校での様子を見に行ったところ、机にずっと座り続けられず、字の概念や数字の概念もわからず過ごしているので、特別支援学校へ転校してはどうか?といった内容だった。そして支援級の定義を説明されたあと「私は公立の小学校の校長も特別支援学校の校長も経験してきたからわかっているんです。支援学校に行くことを勧めます」と言った。
当時、はじめての就学で手探り状態だった私は、せめて低学年のうちは特別支援級に行ってほしいと考えていた。実は就学前相談という発達の遅れなどが疑われる子は、普通級・支援級・支援学校のいずれかを検査や面談で総合的に判断する機関があり、長男はこの時点で支援学校の判定だった。しかし通っていた保育園の主任の先生にしたところ「◯◯君(長男)はトイレトレーニングもお着替えもできるようになったのだから、支援級でがんばってみては?」と言ってくださり家族で何度も話し合った結果、入学ギリギリの2月下旬、支援級への就学に変更したのだった。
自宅周辺で支援級クラスが設置されてる小学校は限られているため、3校を見学に行った。家から歩いて通える2校は年々、支援級を希望する子が増えて先生も大変そうな雰囲気。そして面談では「判定の通り、支援学校に行かれてはどうか?」と打診された。残る1校は校長先生との面談で経緯を話すと「保育園と小学校は管轄も違うから、保育園の先生が安易に親御さんに言われちゃうとこちらが困る」と言われてしまった。そして「情緒のお子さんは対応が大変だけど、知的ならなんとかなるでしょう」と言われて電車通学になるが長男の小学校が決まった。
そもそも、発達の特性がある子の就学先って誰が決めるものなの?と改めて疑問が。就学相談は相談できる場であり、最終的には保護者が決めるはずでは?謎が謎を呼び、頭の中が混乱状態のままだったが時は止まらず。卒園式でも無事に証書授与も果たし、喜びも束の間、入学式がやってきた。
綺麗な新しい校舎のその小学校は、区内でも受験経験のある子が多いエリア。入学式の日、広い体育館でマイクを通して響く校長先生のお話に我慢ならずにパニックを起こす長男。一斉にみんなの視線を浴びて泣き出す始末... 先生が駆けつけて下さって落ち着きを取り戻した。
それからの日々ははじめこそ順調だったものの、日を追うごとに「行きたくない」を態度で示すように。今、思えばその頃の長男の発達具合からすると、手先指先も上手く力を入れられないのに無理やり鉛筆を持たせられたり、わからない字を書かせられてたのだから無理もない。それでも玄関先で見送ると、自分の教室まで一目散に駆けて行った後ろ姿に逞しさのようなものを感じた。
授業参観に行くと国語や算数は何もわかってない様子だし、椅子にずっと座っているのも難しそうだった。でも音楽や生活の時間は楽しそうに集中している姿もあったり。これも今、思い返すと手遊び歌などは先生の真似をすること自体できなかったが、みんながやってる姿を見るのは本当に楽しそうだった。クラスのお友達も優しくて少人数だったため、本当に助けられた。その頃の男の子のお母さんとは今も連絡を取り合い、近況報告をしたりしている。
そして2年生から特別支援学校に転校し一番驚いたことが、毎晩おねしょをしていたのだが、支援学校に行き始めた初日の晩からピタリとおねしょをしなくなった。きっとストレスが大きかったのだろう。支援学校はクラス4名と少人数。そして授業は手話や絵カードなどを使い、特性を持つ子たちに理解しやすい取り組みがなされている。そして癇癪やパニックを起こした時は、教室の端っこにダンボールで壁を作って、クールダウンするスペースを作ってくれる。対処が的確なのだ。こういう子たちに必要な『的確』な声かけや対処方法は本人たちのストレスを軽減させ、安心して生活が送れるベースになるのだと改めて実感した。
「授業中、席を立ってはいけません」と言って席に座らせ、余計に授業に集中できなくさせるよりも、バランスボールや立って動いても良いスペースを設置し、集中できたり授業に取り組めたほうが建設的だろう。。本人の成長のペースや特性を見極めながら対応することで、さらに充実した学校生活を送れるのでは、と思う。こうした取り組みは、アメリカやヨーロッパで既に行われており、ひとりひとりの特性に合わせて対応している。いわゆる『インクルーシブ教育』というものだ。それは障がいの有無に限らず、海外にルーツのある子どもヤングケアラーの子ども、性的マイノリティーの子どもなど障がいに関わらず、『その子』に合わせた対応をすることが、多様な家庭が増えた現代こそ必要なのだと思う。
我が家は支援級と支援学校を経験したが、本来なら同じ学校で対応できたら、子どもも大好きなお友達や先生とお別れしなくて済んだのにな...と長男が時折、1年生の頃のお友達の名前や担任の先生の名前を口にするたび、柔軟な対応ができる体制ができたら...と切実に思う。